3.112013-03-12 02時16分03秒

あの日から2年。
皆さん、当時の震災直後の思いから離れかけていませんか?

東北から離れた都心でも停電や節電が実施されていた頃は
自分にも影響があり、震災を身近に感じていたはずです。
ボランティアで被災地に行ったり、東北の物産を買ったりと
支援の気持ちを持って過ごした方も多かったと思います。

しかし、1年経ち、2年経ち・・・過去の事、遠い東北の他人事と、
周囲では意識が離れている感を感じずにはいられません。

私、スタッフMは、母親の里帰り出産で岩手県大船渡市で生れ、
夏休みとなれば丸1か月間を母親の実家で過ごすほど東北に
慣れ親しみ、「行く」ではなく「帰る」と言う感覚でした。

しかし、2年前のあの日、14:46に発生した大地震の40分後には
恐ろしい巨大津波が町を家を人を飲み込みました。
夏祭りに山車を引いて回った商店街、犬の散歩コースだった岸壁、
思い出の詰まった親戚宅も、全てを破壊し、さらって行きました。

親戚家族は高台に避難し命は無事でしたが、海から80メートルの
店舗兼自宅は、建物の外観を残して中身は全て持ち去られました。


親戚の営む時計・宝飾店の1階店舗



ビル3階まで達した巨大津波は壁を突き破りショーケースも
床も天井も根こそぎ破壊し、鉄骨だけが残りました。
2階の住居部分も全壊です。



幸いにも昨年7月に高台に移転し営業も再開する事ができ、昨年
8月にようやく私も現地に行き、被災地の現状を確認してきました。
瓦礫は片付いていましたが、町だった場所は更地になり、仮設の
店舗が並んでいました。

テレビでは仮設店舗で頑張っている姿を映して復興の兆しと報道して
いますが、結局「仮設」は「仮設」でしかなく、土地利用計画が決まらず、
その後の行先が決まらない以上、復興とは言えません。
また数年後に必ず来る津波に備えて今後の町作りをそう簡単には
決められないものだとは思いますが、もう2年です。

色々訴えたいことはありますが・・・ここではやめておきます。
在りし日の大船渡の姿と同じ位置で震災後1年半の2012年8月に
撮影した写真です。


高台の神社から一望する大船渡市街地。
クルーズ船・飛鳥も毎回寄港する美しい港町でした。



大型スーパーとホテルを残して更地になってしまいました。
今はそのスーパー(青い看板)も取り壊されて残っていません。
手前のプレハブは仮設店舗。



海まで直線100メートルに位置する大船渡駅前。



駅舎も商店もなくなり、スポーツ用品店の外観だけが残っています。
このスポーツ店も中身は空っぽで今は仮設商店に入っています。



漁船や釣り人の集まっていた岸壁



分断された岸壁と崩れたまま機能を失った防潮堤。
満潮時には地盤沈下した土地は浸水しています。



湾内を守るはずだった湾口防波堤。
真っ黒い海水と壁のような白波で津波は震源の沖合から
襲来し・・・




防波堤を乗り越え破壊し、跡形もなく無くなりました。
今はこんなに穏やかな海なのに・・・。



津波到達時間15:24で止まったままの時計。
一日でも1分でも早い復興を願わずにいられません。




震災は忘れたころにやってくる

3.11は過去の事ではなく、今も先が見えない被災地の人々、
家族がいまだ行方不明の遺族の方々のためだけではなく、
明日我が身の事として起きるかも知れない、首都直下地震、
南海トラフ沖地震のためにも、風化させない忘れないこと。

このブログを読んで、少しでも東北被災地に心を寄せる気持ちを
思い出して頂けると幸いです。